大河原邦男・笹川ひろし 対談講演会 @稲城市立iプラザ (前編)

→ 笹川ひろし – Wikipedia
→ 大河原邦男 – Wikipedia

大河原邦男作品展」の関連イベント。

大河原氏、笹川氏のほか角川書店の人が入り、3人でのトーク。

概要、前編でございます。なお、文章は大体の内容なので表現などは実際の発言と違っているかもしれませむ。

  • [笹] 3年前にヤッターマンが終わったところで一区切り、今はタツノコの顧問。週3日くらい。
  • [大] 笹川さんとの仕事が一番多い。
  • [笹] 大河原さんがタツノコに入社した頃はタツノコプロの10年目。不夜城と呼ばれていた。苦しい時期。美術部の中村部長(中村光毅 – Wikipedia)に仕事が集中しているところに入って、強力な戦力になった。
  • [大] 大体,入ると3ヶ月くらい背景のテクニックを学ぶのだが、その途中でガッチャマン(「シャドーナイツなんて仮題がついていたかな」)のタイトルロゴデザインをやれと言われた。それからメイン以外の小物。
  • [笹] (その頃笹川氏は)「カバトット」とか、「いなかっぺ大将」。
    大河原さんにメカニックを振ったら良かったので、専門にやってもらうことになった。
    私は一回漫画家になってる。だから先生(手本)は手塚治虫。やわらかい線がアニメだ、きっちりしたメカはアニメでやるもんじゃないという感覚があった。でも吉田竜夫が「やるんだ」と。
    リアルなアニメをタツノコプロで作らなかったら今のアニメの隆盛はなかったかも。アニメーターが苦労していたけど
  • [大] アニメを知らなかったから、これくらい描けるんじゃないかと。結構アニメーターから嫌味を言われた(笑)
  • [笹] 玩具メーカーのマーチャンダイズが始まるのもガッチャマンのあたりから。
    (メカを玩具メーカーにプレゼンするときに)大河原さんは木で組み立てて、そこまでやってプレゼンする。それで(企画の)「関所」を越える。「ヤットデタマン」のマンモスが変形するのが印象に残っている。
  • [大] 絵が好きじゃない。物を作るほうが楽しい。
    笹川さんのリクエストは、漫画家なので”発想の外”から来るから大変だった。
    タツノコプロは学校みたいだった。(今は他の工程を知らないでやっている人も多いが)製作工程が全てある。
    私はアーティストではなく職人。同時に3,4本受けていたので1話に1,2日しかかけられない。デザインの追求よりはオファーに対する速さ。職人って言葉は大好き。
  • [大] タツノコプロは儲かっていたので、2泊3日の社員旅行とか、お伊勢参りとか。家族も連れて。
  • [笹] それは今でもある。

→ 後編につづく。