
完全に忘れていたんだけど、1996年ジャンボ鶴田先生の体育の授業に潜ったときのメモを最近発見したので載っけておく。初回の授業なので座学だったんだよな。録音してたわけじゃないので細かいニュアンスの違いはあるかもしれない。今日5/13が命日。
- 昔は根性主義のトレーニング。スクワット3000回とかをやっていた。それで糖尿病になっちゃうんですよ。科学的トレーニング法を学んで役立てたい。
- (生い立ちについて)バスケットではかなり良かった。農家の出身なので力には自信があった。レスリングを選んだのは、ボクシングだとでかい人は連れてってもらえないし、レスリングはその頃手薄だったから。
- プロレスの社会は閉鎖的。プロレスのことしか知らない人が多い。
- (「暗黙の了解」の話から 日本テレビ松永アナがロープに飛んで骨折した話)
- うーん、小橋…アレはいい選手になりますよー
- 今のプロレスはK-1とか格闘技の要素が要求されてますから。僕らの頃とは違うんで一概には言えないんですけれどもねぇ
- (プロレスを始めるにあたって全日本を選んだのは?)(新日本は) (口パクパクさせる)が多いからねえ。僕は真面目にやってた方が合うので、馬場さんのところにしました。
- 「(大学院で)マスターになれるんですよ」と言ったら、馬場さんに「喫茶店作るのか」と言われた。それくらいプロレスの社会は世の中のことを知らない。
- (天龍が今の三沢川田に勝てると言っていたが?)それはサービスでしょ。雑誌とかに対してね。もう歳ですからね。僕より一歳年上なんですよ。僕とやってた頃が一番ピークの頃でしょ。全日本辞めてからはダメでしょ。だから、あそこまで持っていったジャンボ鶴田はすごいなと(笑)
- (ハンセンが三冠を取った時「鶴田と戦うために取った」と発言したが?)科学的トレーニングの結果、体力が戻ったらやります。そうじゃなかったらやりません。負けますから。体力は落ちてます。それは組んだ時にわかるもんでね。
- (馬場のチョップについて)大きい人はどうしても遅くなる。でも十番勝負でやってた頃は、効きました。